新潟県天産誌を読む(5) 目録ぜんぶ斜め読み

前回(4)では『新潟県天産誌』が完成するまでのプロセスについて調べた。今回(5)では『天産誌』に現れる動植物のリスト6600項目をざっと斜め読みして、気になる箇所をチェックしてみる。とはいえ浅学菲才の自分には見たことも聞いたこともない種類が大半なので、全部チェックするのは無理。よって特に目立つ種類のみに留める。コケ植物、昆虫類、貝類、菌類、鉱物、古生物などはほとんど読み飛ばしていることを予めお断りしておく。

なお併記している学名は、基本的に本文からそのまま引用しているので、現在の一般的な学名とは異なるものが多い点に注意。当時は学名の種小名を小文字で表記する習慣があまり定着していないようで、大文字始まりになっている種小名が目録のあちこちに見られる。

連載インデックス


目次


中村先生御活躍編

まずは中村正雄が発見した種、発見と思ったが違った種、かなり後になって発見と判明した種、などを集めてみたい。

以下を見ていくと、当時の博物学者たちが世界的なネットワークでつながっていたことが分かるだろう。中村自身は新潟県という地方圏で活動していたが、国内の数多くの分類学者のみならず、海外の研究者とも情報交換をしながら活動していた。登場する人々の名前を見ていると、さながら当時の分類学オールスターズの様相を呈している。

新発見だった皆さん

ホトケドジョウ / Lefua echigonia Jordan et. Richardson

まずはこれ。中村正雄が発見者である。学名に"echigonia"(エチゴニア)とある点に注目。ホトケドジョウは中村が1907(明治38)年9月18日に中魚沼郡の信濃川上流で捕獲して、それがホロタイプ標本[1]となっている。中村は『動物學雑誌 第243号』の「越後産二三の魚類に就て(動物地理學)」(1909)で採集したときの様子を書いている。

『天産誌』には以下のように書かれている。

本種は方言ウマドジョウと称するものにして米国Stanford大学D.S.Jordan氏に送りて新学名越後の字を冠せらる和名をホトケドジョウと定む (p.366)

ということは和名ホトケドジョウの命名者でもあるようだ。GBIFで Lefua echigonia のページを見ると、Type specimens項には下記の文字がある。

HOLOTYPE of Lefua echigonia Jordan & Richardson, 1907 Nakamura, Masao Japan. CAS SU(ICH) 20164

この標本の詳細は GBIF Occurrence 3426426316 のページで参照できる。“Recorded by Nakamura, Masao"とあり、採取年は1907年。採取場所は"Nagooka”(ナグーカ)だが、だいたいあってる。標本が収蔵されている場所はカリフォルニア科学アカデミー(CAS)。116年前の標本なのに、標本のデジタル写真まで閲覧できてしまうのはすごい。

種を命名して発表したのは David S. Jordan, Robert E. Richardson とある。『庄内人名辞典』で中村正雄の項にある「米国ジョルダン先生」とはこのJordan氏のことだろう。

イシゲンゲ / Furcimanus nakamurae Tanaka.

これも中村正雄の発見。学名が"nakamurae"で、発見者である中村正雄の名を冠している。ただし今の名前はクロゲンゲ Lycodes nakamurae (Tanaka, 1914) になる。著者自身による挿絵がp.399に挿入されている。

本種は出雲崎海底より得し新種にして和名をイシゲンゲと定む、田中茂穂氏著日本産魚類図説第十八巻に図説あり、後能生にても採集し得たり (p.398)

命名・発表した"Tanaka"こと田中茂穂(1878-1974)は、日本の魚類分類学の開祖である。前述のジョルダン氏と共に『日本産魚類目録』を作成している。田中は中学時代に同級生の寺田寅彦と首席を争っていたらしい。

GBIFでは Furcimanus nakamurae は、Lycodes nakamurae の別名(シノニム)になっている。もう一つ、Lycodes nakamurai という名前もあるらしいが、これも Lycodes nakamurae を指す模様。よくわからないが田中先生が分類を見直したのだろうか。

ヒメミヤマカラマツ / Thalictrum nakamurae KOIDZ.

これも学名が"nakamurae"である。ヒメミヤマカラマツ(姫深山唐松)は、新潟県と群馬県の県境あたりにしか分布しないキンポウゲ科の植物。中村自身による挿絵も挿入されている(p.83)。

本種は明治三十八年駒岳落水澤にて採集せしものにして大正二年十二月小泉博士によりて新学名を與へらる新撰植物圖編第二編第二集に欧文図説あり (p.82)

小泉博士というのは小泉源一(1883-1953)のこと。植物分類学の黎明期に活動していた代表的な研究者である。学名の最後に"KOIDZ"とあったらこの人だが、ちょっと表記がかっこいい。特に"DZ"のあたり。

GBIFで Thalictrum nakamurae ページを見ると、一番古い標本 Occurrence 3324965874 の日付は1905(明治38)年9月2日。採集者の名前はないが、中村は同年8月30日~9月3日に北魚沼郡駒ケ岳(魚沼市 越後駒ヶ岳)で採集を行ったと記録を残している。よってこれが本人が採集した標本だと思われる。

念のため元になったデータを探すと、国立科学博物館のTNS-VS-380882が見つかった。これを元にして新種を記載したのなら、これがタイプ標本なのかな。

レンゲイハヤナギ / Salix nakamurana KOIDZ.

レンゲイヤナギ(蓮華岩柳)。これも中村正雄が発見したので"nakamurae"。高山に生えるヤナギの仲間で、和名のレンゲは採取場所の小蓮華山から来ている。中村による挿絵も挿入されている(p.98)。

本種は蓮華山中、小蓮華にて採集せしものにして小泉博士によりて新学名を附せられ植物学雑誌三百十七号及新撰植物圖編第一編第六集に詳細なる欧文記述あり (p.99)

サイエンスミュージアムネットでレンゲイワヤナギの一番古い標本を探すと、国立科学博物館のTNS-VS-380883が見つかった。この標本の採集日は1908(明治41)年8月12日。中村は同年8月6~14日に西頸城郡大蓮華山(糸魚川市 白馬岳)へ行ったと記録を残している。ならばこれが採集した標本だろう。

シロタマホヤ / Molgula xenophora Oka

ホヤの仲間。出雲崎のタラ漁で捕獲されたホヤを中村が譲り受けて、標本を専門家に送った結果、新種として記載されたようだ。GBIFの Molgula xenophora によれば、現在の和名はクマサカボヤになるらしい。

本種ハ出雲崎ノ鱈場海底ヨリ得シモノニシテ丘博士ハ是ヲ一新種トシテ動物學彙報第八卷四五七頁ニ發表記述セラレタリ和名シロタマホヤ(新稱)ト定ム (p.406)

文中の丘博士とは動物学者の丘浅次郎(1868-1944)のこと。ホヤの専門家である。

この論文を探したら『日本動物学彙報 第8巻(3)』Notizen uber japanische Ascidien, II. が見つかった。p.457-458がこの Molgula xenophora の記載になる。論文はドイツ語で書かれていて読めないが、後半に以下の一文があり、出雲崎、越後、中村などの文字が確認できる。

Fundnotiz. Japanisches Meer, bei Idsumozaki, Prov. Echigo (Coll. M. Nakamura); 3 Exemplare.

この標本が現在どこにあるのかは不明。GBIFでOccurrenceリストを見ても、1914年の標本は見当たらない。

コシノヲカムラゴケ / Okamuraea brevipes BROTH

コシノカムラゴケ(越の岡村苔)。下記を読んでみると、中村正雄が発見者である。

本種は三島郡荻城山頂のケヤキ樹皮上より得たり、露国ブロテル氏によりて新種として発表せらる、其後再採集を試みたるも絶種になりしが如きは遺憾なりと云ふべし、植物学雑誌第270号に記事あり、和名をコシノヲカムラゴケと定む (p.145)

GBIFの Okamuraea brevipes を見ても中村の標本らしきものは出て来ないので、JSTOR Global Plantsで検索したら、Isotype of Okamuraea brevipes Broth. が見つかった。フランス国立自然史博物館に収蔵されている。採集日は1908年5月、採集者「M. Nakamura」とあるので、これがそのときの標本だろう。

学名の命名者は「Brotherus ex S. Okamura」とある。命名者がBrotherus氏で、発表者がS.Okamura氏という意味になる。先のブロテル氏とはこの V. F. Brotherus (1849-1929) のこと。ロシア人ではなくフィンランド人である。ブロテル氏の死後、膨大なコケ植物コレクションはヘルシンキ大学の V. F. Brotherus Herbarium (H-BR) に移った。検索するとH-BRに収蔵された中村正雄のコケ標本らしきものがいくつもヒットする。他にもいろいろな標本をブロテル氏に送っていたようだ。

植物学雑誌 第270号 (1909)を見ると、p.325に Okamuraea brevipes のことが書かれている。ただし論文ではなく雑録である。書いたのは岡村周諦(しゅうたい)(1877-1947)。属名の"Okamuraea"というのはこの人のことだろう。

種を記載した論文を探してみたら、岡村の東京帝国大学 理科大学紀要 第38巻 p.76 (1916)が見つかった。論文自体はラテン語で書かれているので手も足も出ない。当時のインテリ層の知能レベルには恐れ入る。それでもp.78には以下のように書かれているのが読める。

Hondo: Prov. Echigo; in monte Oginojō-yama [荻ノ城山] (Leg. MASAO NAKAMURA! 15. V. 1908.).

1908(明治41)年5月15日とある。中村は同年5月13~15日に西蒲原郡の間瀬から出雲崎を調査したと記録している。日付はその最終日と一致する。日程的にはおそらく出雲崎町のあたり。名前からして城跡だろうと地図を眺めて、そこで気づいた。もしかして小木ノ城のことなのでは。Google Mapsで見ると、現在の出雲崎町と長岡市の境界あたりが小木ノ城跡の山頂になる。この辺で見つけた標本かと思われる。そして採集したあと「はてこのコケは一体?」などと考えながら西山丘陵を降り、長岡の自宅へと帰ったのではないだろうか。


ちょっと惜しかった皆さん

エチゴハゼ / Chloea nakamurae Jordan et. Richardson

これもホトケドジョウと共にジョルダン先生に送った魚のひとつ。当時は新種とされて学名が付いた。しかも学名に"nakamurae"の名前が付いている。採集場所は「長岡小川」とある。近所の小川でガサガサしていたのでは。

本種は新種として前記の命名を得しも或いはウキゴリの性的変化なるべし (p.395)

GBIFで Chloea nakamurae を見ると、Gymnogobius castaneus のシノニム(別名)という記述がある。和名は「ジュズカケハゼ」というらしい。残念ながら既知の種類であり、新種ではなかったという結論に。

このときの標本は GBIF Occurrence 3426419303 で閲覧できる。写真付き。Localityに「Nagaoka」と書かれている。あってる。

カエルカジカ / Dasycottus japonicus

当時は新種として発表された。著者の図入り(p.388)で紹介されている。

本種は出雲崎海底より得たる新種にして田中茂穂氏著日本産魚類図説第十八巻に記述あり (p.387)

GBIFで Dasycottus japonicus を見ると、Dasycottus setiger のシノニム(別名)になっている。これも既知の種であった。和名は「ガンコ」。

イソニガナ / Lactuca nipponica NAKAI. (Ixeris nipponica NAKAI.)

「新稱」とある。新発見という意味らしい。当時は柏崎で見つかった新種の植物 Lactuca nipponica として1920年に報告された。

本種は大正三年五月柏崎番神岬にて採集せし新種にて植物学雑誌第三十四巻第四百六号に中井博士の欧文記述あり、葉は広く円し (p.7)

この中井博士というのは中井猛之進(1882-1952)のこと。東京帝大教授や国立科学博物館の館長を務めた人。中井博士が発表した種類の一覧には3216件も並んでいる。学名の最後に"NAKAI"とあったらこの人である。

今では Ixeridium dentatum subsp. nipponicum のシノニム、つまりニガナの亜種という扱いになっている。また、この標本がどこに行ったのかは不明。サイエンスミュージアムネットで検索しても戦前のイソニガナ標本は見つからない。

ヒメサユリ / Lilium japonicum var. rubellum MAKINO.

もしくはオトメユリとも。東北地方南部や新潟付近にしか存在しない日本固有種にして堂々の絶滅危惧種。『天産誌』には以下のように書かれている。

本種も余の始めて紹介せし種類にして鳥居峠、飯豊山より羽前の南部に産するを知れり (p.107)

おそらく中村正雄がMAKINO、つまり牧野富太郎にこれを紹介して、それを受けた牧野が1907年に発表したらしい。なお現在ヒメサユリの学名は Lilium rubellum Baker (1898年)になっている。つまり約10年前にBaker氏が既に記録・報告していた。

カギバソメワカゴケ / Calliergon nakamurae OKAM.

本種は妙高山地獄谷竹分にて採集せしものにして岡村博士によりて上記の新名を得たり、東京大学編纂の植物図編第3編第5集に図説せらる、和名カギバソメワカゴケ (p.146)

コケ植物。GBIFで Calliergon nakamurae を見ると、その時採取した標本を確認できる。日付は1909年8月、場所は「Mt. Myoko, Echigo」とあるのでこれだろう。写真も閲覧できる。

命名者である岡村周諦の論文が The Botanical Magazine (植物学雑誌) Volume 25, p.139 (1911)に掲載されている。なおドイツ語である。コシノヲカムラゴケの論文はラテン語だったが、ドイツ語でも書けちゃうのか。明治期のインテリは恐ろしい。

なお、この種は今では Warnstorfia fluitans、ウカミカマゴケという分類になっている。数年前(1907)に発表されていたのでそちらが優先になったらしい。

ナカムラフデゴケ / Campylopus japonicus BROTH.

本種は悠久山松林中の地上より採集せしものにして葉毛状なるものなり学名はブロテル氏和名は飯柴永吉氏の命名による (p.157)

これもコケ植物。長岡市の悠久山なので地元で採集したことになる。『天産誌』ではナカムラを冠した和名が付いているが、現在の標準和名は、YListによればヤマトフデゴケになっている。さらに Campylopus japonicus を見ると、Campylopus sinensis のシノニムになっていた。このあたり関係がよくわからない。

ブロテル氏こと V. F. Brotherus の論文は Hedwigia, volume 38 p.207 (1899)かな。

和名をつけた飯柴永吉はコケ植物の研究者。『日本産蘚類総説』(1929)や『普通日本蘚類図説』(1912)の著者の一人。東北地方の各県で調査を続けていたようだ。飯柴の個人雑誌『フロラ』は全ページ手書きのガリ版(謄写版)で、手作り感が満載な点と、その背後に高い熱量を感じる点にとても惹かれる。他にも飯柴永吉が南方熊楠に送った封書なんてのも残っている。

トウノワイソムラサキ / Symphyocladia latissima YENDO

本種は塔輪(刈羽郡)に於いて採集せしものにして新種として遠藤博士より上記の考定あり、和名をトウノワイソムラサキと定む、記述は植物学雑誌第397号にあり (p.211)

これは海藻の一種。GBIFによれば Symphyocladia latissima は、現在 Symphyocladia marchantioides のシノニムになっている。和名は「コザネモ」らしい。

遠藤博士というのは、遠藤吉三郎(1874-1921)、海藻の研究者である。新潟県の北蒲原郡中条町(今の胎内市)の生まれ。


実は新発見だったらしい皆さん

ナカムラトリハダゴケ / Pertusaria nakamurae (Räsänen) Dibben

これは当時の中村自身も知らなかった新発見だったと思われる。『天産誌』にこの名前は掲載されていないが、GBIFで中村正雄の標本を探していたとき、たまたま検索結果に出てきた。しばらく調べ回った結果を以下に書いておく。

トリハダゴケ(鳥肌苔)という名前だが、これはコケ植物ではなくて地衣類、つまり菌類の仲間になる。新種として安田篤(1868-1924)が命名し、Veli Räsänen (1888-1953)が発表したのが1940年なので、『天産誌』出版の15年後、中村が亡くなる3年前である。

GBIFで標本情報を見ると、採集日は1922(大正11)年4月16日、採集者名は"Nakamura, M."となっている。採集場所は空欄だが、標本の写真でラベルをよーく見ると「Prov. Echigo, Japan」(越後)と書かれている。この時期に中村は旧制柏崎中学校に在職しており、おそらく本人が採集した標本ではないかと思われる。(戦前の新潟で地衣類を採集するような変わり者の"M. Nakamura"氏が2人いたとは考えにくい)

ラベルをさらによーく見ると「Auf Fraxinus bungeana DC. var. pubinervis Wg.」と書かれている。これはヤマトアオダモ Fraxinus longicuspis の木に付着していた標本という意味らしい。採集日(1922/4/16)前後に中村が遠征した記録はないので、おそらく柏崎周辺に生えていた木で採集したのではないかと推測できる。

ただし情報が少々混乱している。まずGBIFサイトではこの種が Pertusaria tuberculifera Nyl. (1940)と解釈されている。しかし日本地衣学会チェックリストを見ると、ナカムラトリハダゴケは Pertusaria nakamurae (Räsänen) Dibben (1980)となっている。なんかちょっと違う。混乱してきた。さらにWikispeciesの記載を見ると、P. tuberculifera var. nakamuraeP. nakamurae のバシオニムになっている。これも分かりにくい。どうやら1940年に P. tuberculifera var. nakamurae として発表されたものが、その後の研究で1980年に P. nakamurae とされた、という意味らしい。つまり後になって新種として独立したのである。わかる?

Räsänenによって発表された植物研究雑誌 第十六巻 第二号 (1940)の論文p.35では、採集地が「Prov. Schigo」(スチゴ)という謎の地名になっている。ラベルに書かれた筆記体の大文字"E"が"S"に誤読されてしまったらしい。いろいろおかしい。

この標本はどこで採集されたのだろう。中村はこれを新発見と認識していなかったが、それでも『天産誌』に既知の種として記録しているかもしれない。そう思ってトリハダゴケ属 Pertusaria のページ(p.197)を見ると5種が記載されており、その最後の1種に以下の記載があるのに目が止まる。

P. Yasudae WAIN.  ワタトリハダコケ   平井(刈羽) (トネリコ樹皮)

名前に「ワタトリハダコケ P. Yasudae」とあるが、この学名は現在では使われていないようだ[2]。地名の「平井(刈羽)」は刈羽郡平井村のことだろう。平井村は現在の柏崎市平井に当たる。「トネリコ」はヤマトアオダモを含めたモクセイ科トネリコ属の意味だろう。これが後にナカムラトリハダゴケとされたものかもしれない。あまり自信はないけれど。

以下に推測込みで経緯をまとめてみる。中村正雄は1922年4月16日、柏崎市平井でヤマトアオダモの樹皮に謎の地衣類が付着しているのを見つけた。標本を採集した中村は安田篤に同定を依頼する。標本は安田によって P. yasudae と同定されて、『天産誌』にはワタトリハダコケと記載された。安田の死後の1940年、V. Räsänen によって標本は再同定されて変種 P. tuberculifera var. nakamurae とされる。さらに中村の死後、1980年に M. Dibben によって再々同定されて新種 P. nakamurae ナカムラトリハダゴケとされた。

以上、状況証拠の積み重ねによる推測である。実際にワタトリハダコケ=ナカムラトリハダゴケか否かを確認するのは難しい。しかし中村が採集した地衣類が後に新種として発表された点だけは確かだろう。そしてこれによって中村正雄は、動物界、植物界、菌界の三界全てで新種を発見して、それぞれに"nakamurae"の名を冠する学名が残ることになった。学問の細分化が進んだ今ではちょっと考えにくいし、当時としてもちょっと珍しい人なのでは。博物学者の面目躍如である。

ちょっと判断できない皆さん

クモ類 / Araneida

中村が採集して、岸田氏が新種と判断して命名したクモが多数記述されている。岸田氏とはおそらくクモ学の開祖・岸田久吉(1888-1968)のこと。GBIFで学名検索しても出てこない種類が多く、判断できないので以下そのまま列挙する。

  • 中村メキリクモ Gnaphosa nakamurai (p.440)。柏崎。
  • 中村ケブリグモ Zelotes namamurai (p.440)。柏崎の朝顔鉢の下で見つけた。
  • ヌサカタオニクモ Araneus lithyphantiformis (p.442)。長岡停車場。
  • アカムネクモ Oedothorax japonicus (p.444)。長岡庭園。
  • 岸田クモ Pisaura anahitiformis (p.447)。長岡市内。
  • ミジンハエトリ Harmochirus niger (p448)。東片貝村百間堤の杉森。
  • コクロハエトリ Heliophanus japonicus (p.448)。鋸山の登山口。
  • オウハエトリグモ Marpissa magna (p.449)。長岡の屋内。
  • 中村アリクモ Phausiana nakamurai (p.449)。石地峠。
  • 中村ハエトリ Rakuhoa nakamurai (p.450)。米山。
  • 白十字ハエトリ Sitticus japonicus (p.450)。長岡庭内。
  • 長岡ハエトリ Sitticus montanus (p.450)。鋸山の麓。
  • ベニスジハエトリ Sitticus nakamurai (p.450)。鉢伏。

以下は新種ではないが中村の名前を送られたもの。

  • 中村サラクモ Linyphia exornata (p.441)。長岡の屋内。
  • 中村クモ Linyphia sagana (p.441)。長岡の屋内。
  • 中村オニクモ Araneus cornutus (p.442)。東片貝山など。

昆虫類 / Insecta

中村が採集して、松村博士によって新種とされて命名されたもの。これも判断不能なので列挙するに留める。松村博士とは松村松年(1872-1960)のことだろう。

  • 中村アシキバチ Tremex nakamurae (p452)。刈羽郡宮地山。
  • 中村クロバヤドリ Bracon nakamurae (p.454)。刈羽郡佐水峠。
  • 中村ツヤヒメバチ Mesostenus nakamurae (p.456)。柏崎。
  • 中村コフシヒメバチ Polysphincta namamurae (p.456)。柏崎。
  • 中村マダラハナバチ Nomada nakamurae (p.459)。乙吉山。
  • 中村ツノハキリバチ Osmia nakamurae (p.459)。刈羽郡春日新田の茅葺屋根。
  • ヨツモンハマゾウムシ Nemonyx maritima (p.477)。塔輪海岸。
  • 柏崎ジョウカイ Telephorus kashiwazakianus (p.482)。石地峠。
  • 中村ツブゲンゴロウ Laccophilus nakamurae (p.492)。刈羽郡河内村山峡の水田。
  • クロズ Noterus nigericeps (p.492)。同上。
  • 中村ハンミョウ Cicindela nakamurae (p.497)。刈羽郡塔輪海岸の砂地。
  • トビイロオログチバイ Brachydeutera brunnea (p.498)。柏崎の貯水。
  • 中村モモブトハナアブ Helophilus nakamurae (p.502)。米山。
  • ホシヒラタアブ Xanthogramma nakamurae (p.503)。青海川村。
  • 中村エダシャク Bison nakamurae (p.537)。柏崎裏浜。
  • 中村セセリモドキ Hyblaea nakamurae (p.541)。米山の麓。
  • 種類不明 Platytes sp. (p.546)。柏崎の自庭(先生の家の庭)。
  • エチゴツユムシ Ducetia nakamurae (p.581)。長岡および柏崎。
  • 中村オカメコオロギ Loxoblemmus nakamurae (p.583)。柏崎の極楽寺山。
  • 中村カゲロウ Polymitarcys nakamurae (p.592)。長岡、新潟、柏崎。

甲殻類 / Crustacea

中村が採集して、岸上博士によって新種もしくは珍種とされたもの。岸上博士とは岸上鎌吉(1867-1929)のことと思われる。

  • コシノツノエビ Hetairus sp. (p.598)。能生。
  • テナガエビモドキ Ctenogbeia balssi (p.601)。下宿村。

普通種万古不易編

そろそろ頭がクラクラしてきた。聞いたこともない珍しい生物と、その難しい学名が次々に出てきて、しかも経緯が複雑なので、もはや脳細胞が飽和状態である。以下ではもうちょっと一般的な種類について眺めてみたい。今でもよく見かけるような、いわゆる普通種ばかりなので気軽に読んで下さい。

今でもよく見る皆さん

ヨモギ / Artemisia vulgaris var. indica

方言で「モチグサ」とある。餅草、つまり笹団子の材料である。笹団子はヨモギ団子であり、笹は梱包材として使うだけ。パンダじゃないので笹自体は食べない。ヨモギは今では Artemisia indica var. maximowiczii になる。

オホバコ / Plantago major var. asiatica

みんな知っているオバコ。今では学名 Plantago asiatica かな。

オニタビラコ / Crepis japonica

「普通」とある。確かに今でも普通種。すごく普通。ただし今の学名は Youngia japonica で、オニタビラコ属 Youngia となる。

サジガンクビソウ / Carpesium cernuum

これは本当によく見る。長岡周辺でガンクビソウの仲間はこれ以外ほぼ見ない。

コシアブラ / Kalopanax sciadophylloides

山菜として有名。新潟県内では普通。ただ当時はハリギリ属 Kalopanax に含まれていた。現在ではコシアブラ属 Chengiopanax に移動した。

ナガハシスミレ / Viola rostrata

本種は前年羽前にて始めて採集せしものにて恐らくは東北地方の特産なるべし (p.49)

と書かれている。確かに変種 Viola rostrata var. japonica は日本海側を中心に分布するスミレだが、しかし基本種 Viola rostrata北アメリカ東部にも分布している。なぜか遠く離れた場所に分布するという、いわゆる隔離分布である。


名前がちょっと違う皆さん

ヤマボクチ / Serratula atriplicifolia

これはヤマボクチ Synurus pungens かも。ヤマボクチは本州の西側にのみ分布ということになっている。Serratula はタムラソウ属なので今とはだいぶ分類がずれている感じ。オヤマボクチは長岡周辺で今でも普通種。

モミヂハグマ / Ainsliaea acerifolia

今では日本海側に分布しているのはオクモミジハグマ Ainsliaea acerifolia var. subapoda ということになっている。「八海山、守門岳、蓮華山(小蓮華山)」とあるので山奥に生えるイメージがあるが、長岡周辺だと丘陵地でもよく見かける。

コバイモ / Fritillaria japonica

おそらくコシノコバイモ Fritillaria koidzumiana なのでは。日本海側などに多い植物。

シャウジャウバカマ / Heloniopsis japonica

ウジウバカマ。「山地普通」とある。たしかに長岡周辺では本当に多くて最初びっくりした。関東ではレア種なのに。

リンダウ / Gentiana scabra var. buergeri

一瞬何のことか分からなかったがリンウ。「普通 (方言ササリンダウ、リンド)」とある。

イハカガミ / Shortia soldanelloides var. genuina

カガミ。「山地普通」とある。新潟では普通種。今のオオイワカガミ Schizocodon soldanelloides var. magnus かな。

サル / Macacus fuscata

呼称は「サル」とだけ書かれている。特に「ニホンザル」とは書いていない。つまり当時は「サル」といえばニホンザルのことで、あえて「ニホン」と付けなかったことが分かる。明治/大正期の人々はチンパンジーやゴリラやテナガザルを知っていたのだろうか。

エチゴウサギ / Lepus timidus timidus

越後ウサギ?なにそれ?と思ったら、今でいうトウホクノウサギ Lepus brachyurus angustidens のことらしい。姿を見かけることはまずないが、意外とあちこちに棲息しているらしく、雪上の足跡はしばしば見かける。

メダカ / Oryzias latipes

ニホンメダカは最近になってキタノメダカ Oryzias sakaizumiiミナミメダカ Oryzias latipes の2種類に区別されるようになった。新潟県にいたのであればおそらくキタノメダカになる。


絶滅危惧諸行無常編

明治大正時代には普通に見られた種類であっても、今となっては絶滅した後だったり、もはやいつ絶滅してもおかしくない種がある。そんな種類について眺めてみたい。

今では絶滅してしまった皆さん

ヤマイヌ / Canis lupus hodophylax

いわゆる「ニホンオオカミ」のこと。「近頃絶滅せしものの如し」とある。ニホンオオカミが最後に確認されたのは1905年で、この本が作られた時代はそこから20年ほど経過している。当時まだ極少数の個体が生き残っていた可能性はあったかも。

カワウソ / Lutra lutra lutra

あっさり「カワウソ」とだけ書かれている。当時ニホンカワウソは身近な普通種に過ぎなかったので、絶滅するとは思っていなかっただろう。ニホンカワウソが最後に確認されたのは1979年である。

中村正雄が赴任した長岡高等学校を戦後に卒業した斎藤惇夫は、児童文学『ガンバの冒険』シリーズの作者である。斎藤はカワウソ絶滅危機という話を聞いて、1982年に『ガンバとカワウソの冒険』を出版している。この物語で主人公のガンバ(ドブネズミ)は幼いカワウソたちと共に旅をするのだが、そのカワウソたちは生まれてこのかた自分たち以外のカワウソを見たことがない。もしかして自分たちが地上最後のカワウソかもしれない、という漠然とした思いを懐きながら旅をする。ガンバの冒険シリーズは私も大好きだが、この本はなかなか切ない内容になっている。


今では絶滅しそうな皆さん

アキノハハコグサ / Gnaphalium hypoleucum

「山地普通」とあるが、今はほぼ全都道府県で絶滅危惧種になった。新潟県では絶滅危惧I類とトップレベル。

ヲケラ / Atractylodes ovata

オケラ。新潟県内では絶滅危惧I類で超レア。佐渡に分布とある。でも関東では割と見かける。

ヲグルマ / Inula britannica var. japonica

オグルマ。「普通 (道傍にも見ゆ)」とあるが自分は見たことがない。あちこちの県で絶滅危惧種になっている。

ハマニガナ / Lactuca repens

「海浜普通」とある。もはや多くの県で絶滅危惧種になっている。今の学名は Ixeris repens だが、当時「なんとかニガナ」はだいたいLactuca属だったらしい。

キキョウ / Platycodon grandiflorum

キキョウが「普通」って。今では新潟県絶滅危惧I類となった。

ヲミナヘシ / Patrinia scabiosifolia

オミナエシが「普通」って。もはや新潟県絶滅危惧I類。多くの地方で絶滅危惧リストの常連。

ミツガシハ / Menyanthes trifoliata

ミツガシワ。「水辺普通」とあるが、今では新潟県絶滅危惧II類。

オキナグサ / Anemone cernua

「海岸河辺砂地普通」とある。そんなに普通だったのか。今では新潟県 絶滅危惧I類。他県の多くでも絶滅危惧種。なお現在オキナグサはAnemone(イチリンソウ属)ではなくPulsatilla(オキナグサ属)になる。

トキ / Nipponia nippon

「濫獲の為めダイサギ等と共に其の跡を絶てり」とある。佐渡には1980年代までわずかに残っていたが、本州側は1920年代には絶滅寸前だったらしいと分かる。

それより不思議なのは、トキとダイサギが一緒に並んでいること。ダイサギは今でも普通種としてしばしば見かける。水辺でボーッとしている姿を見ることは多い。もしかしてこの時点では個体数が減っていたのだろうか。それにしては「ダイサギ」の項目には何も書かれてない。


当時は少なかったが今は急増している皆さん

シカ / Cervus sika

今ではニホンジカによる食害が日本各地で大問題になっているが、しかし『天産誌』には以下のように書かれている。

以前には県内各所に産せしも近時極めて稀なり西頸城親不知方面の鉄道線路上に惨死せしことありたるは二十三年前のことなり (p.336)

つまり江戸時代から明治初期までは普通種だったのに、大正時代には滅多に見なくなっていた。これは当時の乱獲の影響だろう。戦後に保護政策が始まってから生息数が上昇した。今では増えすぎて問題になっている。

環境省の全国のニホンジカ及びイノシシの個体数推定及び生息分布調査の結果について(令和2年度)の添付資料3、および新潟県の第二期新潟県ニホンジカ管理計画(2022)を読んでみると、太平洋側に比べれば新潟県内の個体数はかなり少ない。それでも令和期に入って上越地方を中心に増加している。

環境省自然環境局生物多様性センターのニホンジカの地理的分布とその要因によれば、積雪50cm以上の期間が50日を越えるとニホンジカは生息困難らしい。多雪地域の新潟県内では少ないわけだが、江戸時代まではもっと多かったようなので、県内でも雪の少ないエリアでは今後も増えるかもしれない。

ハクセキレイ / Motacilla alba lugens

ハクセキレイは東日本で最もよく見かける野鳥の一種だが、『天産誌』には「稀」と書かれている。

鯨波(稀ナル種類ナリ)

逆に現在それほど見かけないセグロセキレイの項目には「普通」とある。今の印象とは逆である。明治大正期の新潟ではハクセキレイは稀だったようで、分布域を広げたのは戦後らしい。


珍種発見正体不明編

当時は珍種と呼ばれていたレアな希少種について、いくつか記載がある。一体これは何なのかと専門家たちも悩んでいたようだ。

当時正体不明だった皆さん

フリソデウオ属 sp. / Trachipeterus sp.

大正8年2月に鉢崎浜(柏崎)に打ち上げられ、正体不明の珍種として田中茂穂氏が調査中とある。p.401に中村による図が掲載されている。全長九尺五寸(2.85メートル)の大型魚。フリソデウオ属 Trachipeterus とされているが、図を見るとこれはリュウグウノツカイ Regalecus russelli ではないか。今でこそリュウグウノツカイは有名だが、当時は田中茂穂ですら見たことがなかったらしい。

肉は食するに堪えざりしと云ふ (p.401)

誰かが食べてみたら不味かったとある。おそらく腐りかけの状態だったのでは。実際にはリュウグウノツカイはなかなか美味いらしいぞ。

ヒゲナガウオ / Pallasina eryngia Jordan et. Richardson

今ではヒゲナガヤギウオと呼ばれる。これも前述の『動物學雑誌 第243号』に記述がある。1905(明治38)年3月、寺泊沖で漁師が捕まえた謎の魚を水産試験場から寄送されて、中村正雄がジョルダン先生に送って調べてもらったらしい。当時は新種とされて学名を付けた。ただしGBIFによれば Pallasina eryngia は、Pallasina barbata のシノニム(別名)ということになっているので、結局新種ではなかった模様。

『天産誌』には以下の説明がある。p.391には著者による図も挿入されている。

本種は寺泊沖にて得し新種にして和名をヒゲナガウオと定む、米国Smithsonian博物館報告三十三巻二百六十四頁に図説あり、其後能生にても得たり (p.390)

このときの標本もGBIFで見ることができる。Occurrence 3426457309 を見ると写真も付いている。ただし採取年は不明になっている。Localityには「coast of Echigo (former province ?)」とある。古い地名は外国人には難しいね。

今でも相当なレア種らしい。「うみがたりに新顔!国内初展示のヒゲナガヤギウオ」という記事を見つけたが、115年後の2020年もやっぱり漁師が捕まえて、種類がわからず研究者が調べている。同じ構図である。

オオグチボヤ / Megalodicopia hians Oka

中村自身は発見に関わっていないようだが、天産誌に下記の記載がある。ひと目見たら忘れられない不思議な形をしたホヤの仲間で、最近では『へんないきもの』(2004)に掲載されて有名になった。

本種ハ米國albatross號汽船ガ佐渡沖海深二百尋ノ海底ヨリ採集ゼシ珍種ニシテ屬及種名共丘博土ニヨリテ考定セラレ動物學彙報第九卷三百九十九頁ニ記述セラレタルモノナリ (p.406)

つまりオオグチボヤが一番最初に見つかったのは佐渡沖で、米国水産局の調査船アルバトロス号が海底から採集したものらしい。前述の丘浅次郎によって新種とされて、1918年に『日本動物学彙報 第9巻(4)』論文が発表されている。

なかなか正体が分からなかった皆さん

コクマルガラス / Coleus dauricus dauricus

「川西(古志) (襟部白し) 珍種」とある。現在の長岡市の川西地区あたりだろうか。このコクマルガラス Corvus dauuricus については、中村がまだ山形県にいた頃に以下のような記事を残している。経緯を調べて不覚にも笑ってしまったので紹介しておく。

この記事によれば、1893(明治26)年10月20日に鶴岡市周辺で謎の白いカラスが出現した。猟師がそのカラスを捕獲したとの知らせを受けて、当時の中村青年(26歳)が大喜びでその鳥を調べてみたが、正体が分からない。松森胤保翁に聞いてみると「小(からす)」なるものかもしれないという[3]。さらに中村はカツセル氏[4]の鳥譜を調べて Corvulture albicollis かもしれないと考えた。恩師・飯島魁(1861-1921)に問い合わせたところ、飯島は送られてきたイラストを見て、これは自身も見たことがない珍種コクマロガラス Corvus dauricus だろうと考えた。

しかしここでトラブル発生。飯島は中村の封筒を紛失してしまい、連絡先が分からなくなる。困った飯島は『動物學雑誌 第69号』に下記の一文を掲載する。

中村正雄君の住所を忘却いたし困り居り(そうろう)(つき)御当人(もし)くは存寄(ぞんじよ)りの御方より御通報を(こう)

東京本郷大学 飯島魁

学術雑誌にデカデカと名前が掲載され、なぜか自分が尋ね人になっていると知った中村先生は、飯島博士に連絡して、そしてコクマロガラスの名を知ったのであった。常日頃から動植物を探していた中村正雄だが、まさか探される側になるとは思わなかっただろう。ちなみに飯島は日本鳥学会の創設者にして初代会長でもある。


未発見捜索途中編

生物名のリストを見ていると、そこに存在していない種類に気づくことがある。当時まだ発見されていないとか、まだ他と区別されていないとか、たまたま見かけなかったとか、そういう種類だろう。自分が気づいたものだけ以下に記しておく。

まだ見つかっていない皆さん

ユキツバキ / Camellia rusticana

ツバキ科にはヒサカキ[5]、ヒメシャラ、ナツツバキ、ツバキとある。なんとユキツバキが記載されていない。今では新潟県を代表する花木なのに当時まだ認識されていないとは。びっくり。戦後の1947年以降にヤブツバキと区別されるようになったらしい。

ケナシヤブデマリ / Viburnum plicatum var. plicatum

これも日本海側を代表する樹木の一つ。ヤブデマリ Viburnum tomentosum var. typicum はリストに入っているが、ケナシヤブデマリの名前は見当たらない。当時はまだ区別されていないらしい。

エチゴキジムシロ / Potentilla togasii

キジムシロ P. fragarioides はリストに入っているが、エチゴキジムシロの発表は1959年なのでまだ見つかっていない。

気づかれなかった皆さん

クロサンショウウオ / Hynobius nigrescens

記述は見当たらない。種として報告されたのが1907年なので、まだあまり知られていなかったのかも。それともエゾサンショウウオと間違えられていたのか。日本固有種かつ新潟県準絶滅危惧種。

オナガ / Cyanopica cyanus

東日本では普通種のはず。長岡市内でも電線に停まっている姿をたまに見かける。でも本書には記載されていない。他の種類と間違えるような外見でもないので、本当に見なかったのかな。

と思っていたら、偶然にも長岡市立科学博物館研究報告(2)(1961)で「新潟県の鳥類について」という報告を見つけた。オナガについて「本県北部にて近年発見された」と記載されている。もしかして新潟県でオナガが観察されるようになったのは戦後なのだろうか。


外来種千客万来編

当時は明治維新で再出発してから数十年しか経過していない。そんな明治大正時代でもすでに多くの外来生物が海外から侵入していた。逆に現在では広まっている外来種でも当時まだ見られない種類もある。それらについて眺めてみる。

当時すでに帰化していた皆さん

ヒメムカシヨモギ / Erigeron canadensis

「道傍普通に多し(帰化植物)」とある。100年前の時点ですでに多かったらしい。

ノヂワウギク、アレヂノギク / Erigeron linifolius

アレチノギク。「新潟、佐渡 (分布多く鋸歯なし) 帰化植物」とある。今も多くはないが普通に見かける。

オホイヌノフグリ / Veronica Buxbaumii

イヌノフグリ。今では Veronica persica になっている。「柏崎 (花梗長し)」とある。帰化種という記述が見られないが、もしかして在来種と思われていたのか。

ハルシャギク / Coreopsis tinctoria

今では生態系被害防止外来種として各地で繁殖中。特に新潟では多い印象。『天産誌』では園芸植物のリストに入っている。ただし方言の名称が多数列挙されている(p.248参照)ところを見ると、既に見かける機会は多かったのでは。

シロツメクサ / Trifolium repens

いわゆるクローバー。今では外来種であることを忘れるほどに普通。明治期に全国各地に広まったらしい。『天産誌』の記載では園芸植物という扱いなので、まだ少なかったのかも。

カワラバト / Columba livia intermedia

身近なハトのうちのカワラバト(ドバト)は、明治期にはすでに定着していたらしい。

縣下各地に於て半野生的に人家附近に見るハトはドバトにして軍用傳書鳩はAuversoisとLiegeoisとの間種なるべしとの説もあれども原種はドバトと同一のものなり

途中に軍用伝書鳩という言葉がさらっと出てくる点が興味深い。100年前のパケット通信の物理層である。お腹が減るとパケットが遅延していたのだろうか。ただし当時すでに無線通信は使われていた。日露戦争の日本海海戦(1905)では秋山真之があの有名な「本日天気晴朗なれど波高し」を無線で送信している。関東大震災の惨事も、無線電信によって当日のうちに世界中へと伝わっている。情報化社会の黎明期に当たるのだ。


当時まだ帰化していなかった皆さん

セイタカアワダチソウ / Solidago altissima

キングオブ外来種、雑草覇王ことセイタカアワダチソウの名前はどこにもない。今では増加を通り過ぎて秋の風物詩みたいな状態になっているが、当時は新潟県に侵入する前だったらしい。全国に拡大するのは戦後

ヒメジョオン / Erigeron annuus

クイーンオブ外来種の名前もないのは不思議。明治期には広がっていたらしいのだけど。

ハルジオン / Erigeron philadelphicus

これも出て来ない。本格的に広まったのは戦後らしい。

オオアレチノギク / Erigeron sumatrensis

出てこない。日本に入ってきたのは1920年代なのでまだ新潟に到達していないのか。ヒメムカシヨモギと区別していなかった可能性もある。でも新潟県内だと今でも意外に少ない気が。

ヘラオオバコ / Plantago lanceolata

名前は見当たらない。あんなの近くに生えていたら絶対に気づくので、まだ新潟県に侵入する前だったのだろう。日本には幕末に侵入していた

その他動物

現在問題となっている外来生物でも名前がないものは多い。アライグマハクビシンコジュケイガビチョウミシシッピアカミミガメウシガエルなどは、まだ侵入していないか、もしくは広まっていなかった。平和です。


判断不能検討必要編

リストの中に掲載されていても、これは一体何なのかと疑問に思う種類が幾つかある。自分が気づいた分のみ以下にまとめてみる。おそらく他にも多数あると思われる。

なんかちょっと引っかかる皆さん

オナモミ / Xanthium strumarium

「海岸に多し (苞に棘あり)」とある。海岸沿いということは、もしかするとイガオナモミかもしれない。

ニガイチゴ / Rubus incisus

「尾瀬平」とある。むむ、そんな山奥に生えているということは、ニガイチゴではなくミヤマニガイチゴかもしれない。なおニガイチゴは Rubus microphyllus で、ミヤマニガイチゴは Rubus subcrataegifolius となっている。


何を指しているのか不明な皆さん

ヤマヨモギ / Artemisia vulgaris var. vulgatissima

ちょっと混乱する。今はヤマヨモギはオオヨモギ Artemisia montana の別名となるらしいので、学名 Artemisia vulgaris はハタヨモギを指しているらしい。ここでは一体何を指しているのだろう。

センダングサ / Bidens bipinata

どのセンダングサなのかわからん。在来種(史前帰化?)のセンダングサは Bidens biternata、この Bidens bipinnata は外来種のコバノセンダングサになるがどっちだろう。佐渡のみに分布とある。

ところで外来種のコセンダングサ Bidens pilosa var. pilosa は、関東周辺では至る所で見るほどの大繁殖ぶりだが、新潟県内ではほぼ見ない。どうしてこんなに違うのか、かなり不思議。

マアザミ / Cirsium incomptum

かなり混乱する。今ではマアザミはキセルアザミ Cirsium sieboldii のことを指すらしい。Cirsium incomptumCirsium nipponicum var. incomptum のシノニムなのでタイアザミ(トネアザミ)になる。となると一体どのアザミなのか不明。

ヨメナ / Aster indicus

これも混乱。今の Aster indicusヨメナで、四国九州以西にしか分布しない。今だとヨメナはおそらく Aster yomena (var. yomena) だが、そもそも新潟県内に生えているということは、カントウヨメナ Aster yomena var. dentatus なのかも。

というか今でもヨメナの学名はちょっと混乱していて困る。情報源によってどれが正式でどれがシノニムなのか違っていて、統一されてない。GBIFでもどの学名で検索するのがいいのかわからん。なんとかして。


本当にあったのかよくわからない皆さん

クサヤツデ / Ainsliaea uniflora

「蓮華山、苗場山、飯豊山」とある。でも本来クサヤツデは太平洋側や西日本でしか見られないらしい。新潟県植物目録[チェックリスト] 予報 2004にもクサヤツデは記載されていない。

何か別の種類と間違えていたのかも。葉の形がモミジハグマっぽくて、花の形はアクシバっぽい種類って、なんだろう。


次回予告

今回(5)ではこの本を目録として斜め読みしてみた。中村正雄は広範囲な調査を長期間続けていただけあって、それなりの件数の新発見に関わっている。当時採取した標本が現在どれだけ残っているかは不明だが、GBIFなど自然史標本データベースの整備によって海外に幾つか残っていることが確認できるのは興味深い。最後の次回(6)では『天産誌』が出版された後の時代などを見ながら連載の終わりとしたい。


  1. 学名を記載するときの拠り所となる基本的な標本。ただ1つしか存在できない。 ↩︎

  2. 日本地衣学会のチェックリストに和名ワタトリハダゴケは見つからないが、京都府レッドデータブック2015によれば、ワタトリハダコケに当たるのは Pertusaria quartans らしい。難しい。 ↩︎

  3. 松森胤保は前年1892年に亡くなっているはずなので、ちょっと話が合わないのが気になる。 ↩︎

  4. このカツセル氏が誰を指すのかは不明。 ↩︎

  5. ヒサカキは今ではツバキ科ではなくモッコク科(サカキ科)の Eurya japonica になっている。AGP時代のお引越し組。 ↩︎