宝閑自然誌のようなページを作っていると、たとえばニガイチゴは長岡市周辺に生えているのか、という疑問がよく湧いてくる。そのたびにインターネットで分布データを探すのだが、これがなかなか見つからない。ニガイチゴが新潟県内に自生しているのは確実らしいが、中越地方に分布しているのだろうか。
もし分布していれば、おそらく標本がどこかの研究施設に収蔵されていると予想したのだが、オンラインで閲覧・検索可能なデータは少ない。全国や全世界の標本データベースにも県内のデータはなかなか見つからない。かくして、あちらこちらと調べ回る羽目になった。
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地球規模の自然史データベース
最近ではさまざまな生物の分布情報がインターネット上で閲覧できるようになった。おそらく最もデータ量が多いのは、GBIF (Global Biodiversity Information Facility)ではないだろうか。2023年2月時点のオカレンスデータは22億件(!)を越えている。これは標本だけでなく観察の記録も含む。自然史研究もビッグデータの時代だね。
このデータは全世界のさまざまな研究機関等から収集したもので、無数の人々の膨大な作業によって構築されている。もちろん日本からの情報も含んでおり、日本国内の窓口であるJBIFのデータ統計を見ると、2023年2月の時点で1,074万件を越えるデータが登録されている。このGBIFサイトでニガイチゴの分布情報を見ると、本州のかなり広い範囲に渡って採集・観察記録が見つかる。
しかし、地図を新潟県内までズームしてみると、ポツンと1箇所しか見つからない。しかもこれは富山市科学博物館の標本データで、この博物館が各地で採集したニガイチゴの標本の一つらしい。その元になる標本データは以下の場所で見つかる。角田山で1987年と1990年に採集した標本であることが分かる。
- ニガイチゴ, TOYA-Sp-34691 (富山市科学博物館, 1987-04)
- ニガイチゴ, TOYA-Sp-48946 (富山市科学博物館, 1990-04)
さて新潟県内にある標本のデータベースはどこにあるのかな、と探し回った。
国内の自然史標本データベース
国立科学博物館が運営しているサイエンスミュージアムネット(S-Net)は、日本国内にある自然史標本の統合データベースとなっている。このS-Netにデータが提供されていればGBIFでもデータが閲覧可能になる仕組みである。
しかしS-Netの機関・データセット一覧を見ると、新潟県内でデータを提供している機関は、
- 十日町市立里山科学館 越後松之山「森の学校」キョロロ (S-Net)
の1箇所のみ(2023年2月時点)。そしてこれはチョウ、クモなど節足動物のコレクションであり、植物コレクションは含まれない。なるほど県内の植物標本データはなかなかヒットしないわけだ。GBIFのサイトでさまざまな植物の分布を地図表示させていると、新潟県エリアは空っぽに見えることが多い。
環境省のサイト「いきものログ」は、ソーシャル自然観察サイトとでもいうべきもので、日本各地の自然観察記録が蓄積されている。このサイトでニガイチゴを検索しても、やはり新潟県は空白エリアである。県内のニガイチゴの個体数が少ないのか、それとも単に新潟県で「いきものログ」を使っている人が少ないのか、ちょっと判断できない。
県内の標本にもデータベースがないわけではない。新潟市立総合教育センターの植物資料室では、池上義信コレクションの標本37万点がオンライン検索可能になっている。ただ残念ながらS-NetやGBIFにはデータ提供されていないらしい。このサイトでニガイチゴを検索すると、新潟県内の標本はいくつも見つかるが、長岡市内の標本はヒットしなかった。
では、そもそも新潟県内の自然史標本はどこに保管されているのだろう。
県内の植物標本はどこにある
『植物地理・分類研究』第50号 2巻(2002) 第2部 各都道府県別の植物自然史研究の現状 を見ると、新潟県内には多数の植物標本コレクションが存在していると書かれている。ただこの記事は2002年(20年前)なので少し古い。ネットで植物標本の収蔵状況に関して探してみると、以下のような場所が見つかるが、これが最新の状況なのか、あまり自信がない。
- 長岡市立科学博物館:7万点?
- 新潟大学教育学部 植物標本庫(NGU):3~4万点? (参考URL)
- 新潟薬科大学 生物学研究室:8万点?
- 新潟市立総合教育センター 植物資料室:37万点
- 新津地域学園 積雪地域植物研究所:詳細不明
他にも自宅に標本を保管している在野の研究者・愛好家はいるらしい。以下の記事を見ると、研究者の皆さんは以前から標本の散逸を心配している。
- 新潟県における植物相と資料保管の現状, 『新潟県植物保護』, 2007-12 (新潟大学学術リポジトリ)
結論として、県内各所に植物標本は収蔵されているが、その多くはオンライン検索できる形になっていない模様。
バック・トゥ・ザ・ペーパー
よろしい、ならば紙媒体だ。ということで地元の図書館に行ったところ、以下の書籍にニガイチゴの県内分布が記載されていた。
- 新潟県植物分布図集 第8集, 石沢進・編/植物同好じねんじょ会 (1987) → CiNii書誌情報
上記図集p.159に「No.687 ニガイチゴ」の項がある。それによれば県内の分布は以下のような場所だった。
- 弥彦山、角田山、佐潟付近
- 寺泊
- 出雲崎
- 北蒲原郡
- 新発田市
- 西頸城郡青海 (糸魚川)
沿岸部が多くて内陸部にはほとんど見当たらない。寺泊地域は合併後の長岡市に含まれるので、長岡市域全体で見れば分布していることになりそう。
とはいえ、寺泊や出雲崎にあるのなら、旧長岡市内でも西山丘陵のどこかに生えている可能性は残る。ワンチャンあるかも。
内陸ですか沿岸ですか
新潟県のニガイチゴは沿岸部に偏って分布しているらしいことは分かった。しかしこれは意外だった。なぜなら神奈川県で自分がニガイチゴを見かけた場所は、どこも内陸の丘陵地だったからだ。
あくまで一個人の狭い経験による雑な直観でしかない。それでも以下の資料(PDF)のp.847~848を見ると、神奈川県ではニガイチゴは沿岸部に少なくて、内陸部に多いように見える。
- 神奈川県植物誌2018 電子版, 神奈川県植物誌調査会編 (2018)
この違いは何だろう。GBIFでニガイチゴの分布マップを見る限り、隣の福島県、長野県、群馬県ではかなり広範囲に分布している。秋田県、宮城県、岩手県にも分布しているので、特に冷温に弱いわけでもなさそう。ただし日本海側に限ってみると、やはり沿岸部に点在しているようにも見える。これは単に内陸部の調査が少ないか、もしくはオンラインで参照可能になっていないだけかもしれない。
そういえば、なぜ神奈川県では沿岸部に生えていないのだろうか。こちらもよくわからない。もし潮風(塩害)に弱いのなら、他県でも沿岸部には見られないはず。単に開発が進んで森が少ないエリアだからか。
付記
もともとニガイチゴが近場に生えているか知りたかっただけなのに、なぜか標本の収蔵データを探し回っている。我ながら一体何をしているのかよくわからない。
標本整理とデジタルデータ化が大変な作業なのは想像に難くないけれど、もう少し何とかなるといいな。『新潟県植物分布図集』も全20巻の大作でどこにでもある本ではないので、図書館に赴く必要がある。はやく国立国会図書館がデジタルコレクション化してほしいな。
追記:見つけました
その後、東山でニガイチゴを発見しました。